2017年4月6日木曜日

正論

[水虫なんて]虫でないものを虫というな(ある自閉症児)


すごく久しぶりの投稿。誰も見ていませんように…。

数年も前ですが,多分に漏れず「半沢直樹」を面白く拝見しておりました。
あれ,視聴者はどの人の視点で見ていたんでしょうか?

もちろん半沢直樹なんでしょうが,同じような正論で生活をしているのでしょうか?

僕はワリと正論を吐くタイプだと思っています。
以前,妻に「正論過ぎて怖い」と言われたことがあります。
(これまた人気の「相棒」の杉下右京のセリフが,以前僕が言っていたことと同じだったことを受け,妻が言った)

「できるもんならな!」と半沢が上司に言われるシーンが有りますが,僕はあのシーンを見た時に,院生時代に僕が「標準的な研究」を批判して,採るべきアプローチについてプレゼンした際,教員に「ドロ沼に入らんように」と言われたことを思い出します。

「ドロ沼に入らんように」

これ,文字通り,そう言われました。どんな語用論的知識を持ち出しても「応援しているぞ,頑張れ!」という解釈は生まれないでしょう。むしろ「できるもんならな!」の方が近いと推測します。

ある自閉症児の発言を引用しましたが,非常に合理的な意見だと思います。

「大人になる」とか「健常である」というのは,純粋な正論をひた隠しにするように学習することであるというのも,当たらずとも遠からずではないでしょうか?

健常という障害なのかもしれません。


さて,今日,以前「レポートを書くのに不適切なプロセス」を注意し,「ご教示頂き,ありがとうございます。今回の件で,大変不快な思いをさせてしまい,誠に申し訳ございませんでした。」という回答をした学部生と道ですれ違う「はず」でした。
僕は矯正視力はいいので,50メートルくらいならおおよそ人物を特定できるので,それが早い段階から分かるのですが,その学生は「そっちに何しに行くの?」という方向に曲がりました。

本当に「そっち」に用事があったのかもしれませんが,持っていたものがコンビニの小さい袋程度だったし,本当に「何にもない」。
ガツンと注意されたら,その後きちんとすればいいものを…と思うのですが,注意された側はバツが悪かったり,僕を嫌ったりということなんでしょうね(他の学生のレポートを見ていく中で判断したことなので,僕は正論を吐いただけだという自信はあります。最初は「悪気はない」という感じだったので,「何が悪かった」かいちいちを伝えなければならなかった)。

ただ,レポートでの不適切なプロセスなどは注意や減点で対応できるので,この学生が謝ってきた不快などは感じませんでしたが,むしろ(あくまでも可能性として)「あいさつを避けるために方向を変えた」ということであれば,そちらの方が不快になるとは考えないのですかね。

(あくまでも可能性として)小さな事象で済むことを大きくさせてしまった「遅刻の言い訳に通り魔をでっち上げた22歳男性」のニュースを彷彿とさせます。

(あくまでも可能性として)もしそうであれば,臨床家として不適切かな,と。

(あくまでも可能性として)そうでないことを願います。